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愛するよりも愛されたい

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こんにちは

四柱推命鑑定士の竹倉明七(たけくらめいな)です。

ものを書く人=作家、だったのは昔のこと。

今は日々メールなりLINEなりSNSなり

大抵の大人は誰かに言葉を「書く」時代になってますね。

俵万智さんの「生きる言葉」

物事の事実を説明するための「書く」ではなく

心を言語化したくなる時は

大抵、言葉の力より人の気持ちの方が大きくなる。

それでも伝えようとすると

言葉はまるで生き物のように大きくなったり小さくなったり

形を変えながら表現をするための相棒になってくれる感じがします。

この本がその感覚を捉えて解説してくれていて

言葉というコミュニケーションツールの力は偉大だと再認識しました。

しかし、

俵万智さんって素敵だなと思うポイントは

マジで?などと、ごく普通の話し言葉を使っても

品があるから不思議。

知性は存在そのものに品をもたらすのですね。

————————–

今日のテーマは愛について。

本来、愛とはシンプルで主体的なもの。

誰かを愛するのに条件はいらないし

自己肯定感とか

承認欲求もいらないし

引き換えに交換するものもないはず。

だけれども現実的には

愛する。よりも

愛されたい。という思考が先に立ったりします。

愛されたいから愛する、というように。

なぜかというと

多分それが人が生まれながらに学習してきたことだからでしょう。

人は多くの動物と違い、生まれた瞬間から自らの力で歩けません。

誰かの手を借りて

栄養を与えてもらい

安全な環境を与えてもらえなければ

生き延びられない無力な存在です。

生命を維持するという、ごく基本的な欲求のためには

お世話をしてくれる人が欠かせなくて

お世話をしてもらうために

命を脅かされないようにするために

愛されいていた方が都合がいい。

それが現実。

だから

赤ちゃんは周囲が手を貸したくなるように仕向けるため

頭が大きく、目も大きく

可愛らしい容姿で生まれるという説があるんだとか、

以前どこかで聞いたことがあります。

誰もが多かれ少なかれ

愛されなければ生きていけないということを

生まれた時から知っているわけですね。

baby holding person s index finger

生き延びるためには愛されなければならない。

そう悟っている本能は

成長し、もうお世話を必要としなくなっても

どこかに残っているんじゃないかと思うのです。

愛するより愛されたい、となるのは

人の中にそんな呪縛があるからではないかと。

シンプルかと思えば複雑で

めんどくさい人間らしさって

こういうことに由来してるような気がします。

そして、その呪縛が解けた時に

人は見返りを気にすることなく

主体的に愛することができるのかもしれません。

ということは、

呪縛を解くとは、自らを解き放つことでもあり、

それが自立ということなのかもしれません。

「愛される為に

愛するのは悲劇」

藤井風さんの「満ちてゆく」の歌詞です。

手を放すことで満ちてゆくのだ。という歌に

自分なりの解釈をしてみたら

今日はこんなお話を書きたくなりました。

8月、みなさま健やかに夏を楽しんでくださいね♪

Kiranも夏休みを取りながら元気に営業します。

今月もご依頼お待ちしております。

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