こんにちは
四柱推命鑑定士の竹倉明七(たけくらめいな)です。
先日、雨の日にふとPCの隅っこを見ると・・・
ん?
Windowsのタスクバーにいつからか天気が表示されるようになりました。
しかしこれを見た時に、単なる天気予報と思えない時があるわたし。
やまない雨などないと言われたように感じて励まされたり。
みなさんはどう思う?
そんなこんなで、今日は思いつくままに
心に雨が降っている人へのお話を。
私たちの使う日本語という言語。
子供のころ習得したスタイルといえば、たいてい主語が「わたし」から入ります。
わたしは〇〇(名前)です。
わたしは小学生です。
という具合に。
日本語は、主語が「わたし」という「主格」がメインの言語です。
言われてみたらそうかもしれないけれど
意識したことはなかったなぁ。
それに対してインドのヒンドゥー語は「与格」の言語です。
与格というのは、事象が自分に何かを与える、という構造の言語。
例えばコロナウイルスに感染した時。
主格を使う日本語では
「わたしはコロナに感染しました。」となります。
対して与格を使うヒンドゥー語では
「コロナがわたしにやってきた。」という具合になります。
そう、与格とは
「わたしは」でなく、「わたしに」という言語なんです。
わたしはこれをインド哲学を学び始めた頃に先生から教わりまして
そういう考え方っていいなぁと心に残りました。
そして、わたし自身も今まで馴染みがなかった、
与格で物事を考えることを実践してきた結果
やっと最近いい感じに考えられる場面が増えてきたな~と感じています。
心に雨が降っている時。
悲しいことや辛いこと、苦しくて悩んでいることや怒りがある時は
主語を「わたし」から「悩み」にするといいです。
「悲しみ」がわたしに向かってやってきた。
そして
「苦しみ」はわたしに留まっている。
いつか
「悩み」はいつかわたしから去っていく。
という感じ。
与格で自分の状態を表してみると
悩みというのは本来の自分に入ってきて、
いつか出ていくものという捉え方ができます。
苦しみは自分の一部ではない。
ただ、今は自分に向かってきて、自分の中に留まっているだけ。
そう捉えると、悩んでいることと自分とを切り離して考えられる。
染まることなく、飲み込まれることなくいられる気がしませんか?
主体的に生きよう、自分軸を持とう、と言われる世の中です。
当然わたしは、という主語が大事にされるわけですが
苦しい時には与格で考えればいいんじゃない?と思っています。
普段の鑑定でなかなかここまでお話できる時間がとれなかったりするので
今何かを抱えている人に届けばいいなと思い、書いてみました。
誰かの心の雨がやみますように。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
それではまた次回です♡
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