こんにちは
四柱推命鑑定士の竹倉明七(たけくらめいな)です。
8月に入りましたね♪
先月、高野山へ行く途中で
大阪の住吉大社に初めて参拝しました。
ここがパワースポットですよー。って案内を何か所か見かけて
神社側がパワースポットって張り紙するって
関東では見たことないかもと思いました。
親切なのが関西っぽくておもしろかったです(*^^*)
神聖な雰囲気と、賑やかさが同居している神社でした。
暑い日の空の青さ。
本場のお好み焼きと
たこ焼きも美味しかったです♪
今月は夏休みをとりながらの営業となります。
空き状況はこちらからご確認ください。
どうぞよろしくお願いいたします。
————————–♡
個人的に、こういう発言は苦手だ~というのが
いくつかあります。
みなさんもきっとあると思います。
わたしにとって、その一つが
あの人はわたしがいないと生きていけないから・・・。
みたいなやつです。
ノリでふざけて言うような場では、
逆に面白くて楽しいのですが
例えば、鑑定の場で
「では、相手を失ったらどうしますか?」と聞いた時に
ニュアンスとして、
わたしがいないと相手がかわいそう。
だから一緒にいる。
みたいな答えが返ってくる時なんかは
もう気になって仕方ない。
もちろん、
大切な人を助けたり、支えたりすることが
間違っているとは思いません。
だけど、
そこに投影を感じると個人的に引っかかります。
と同時に、
そこが鑑定の切り口になったり。
あえて掘り下げることはしなかったり。
投影というのは、この場合
相手を助けたい、支えたいという気持ちの裏に
自分が助けてもらいたい、支えてもらいたい想いがある、
ということです。
もう一つ、例を挙げると
占い師になりたいです!という人の中には
本当は自分が救われたいから占い師になりたいという人が
ある一定数混じっています。
人を助けたい、という気持ちは
満たされない自分への投影だったりするわけですね。
つまり、欲しいものを得られないから
別の何かに投影して満足しようとする代償行為です。
でも、それは代償だから
占い師になって、誰かの助けになることはできたとしても
それによって自分が救われることはないのです。
年の功なのかな。
この仕事をしているからなのかな。
こういった代償行為を嗅ぎ分ける嗅覚みたいなものが
反応してしまい(^-^;
本当は、自分が救われたいのにそれを直視せず
相手の問題にすり替えているような発言を聞くと
いたたまれない気持ちになるのです。
代償行為では自分は満たされない。
ではどうすればいいかというと、
繰り返し湧いてくる感情に気付き、
それは
相手の問題なのか
自分の問題なのか
切り分ける。
これに尽きるのかなと思います。
でも、投影するって
小さなことでは日常茶飯事。
自然に起きていることだったりします。
先日、あることで「それは投影でしょ?」と言われたことがありました。
ハッとしたものの、
そのわりに一瞬では指摘を認められず
その後、苦笑いした自分がいたので
なんとなくこんな話題を書いてみました。
えらそうなこと書いてても
自分のことはよく見えない。
そんなものですね。
相手の問題なのか
自分の問題なのか。
自分の問題だと気づけたら
自分を救うことができるかもしれません。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
それではまた次回です♡