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言葉の限界が世界の限界

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こんにちは。

四柱推命鑑定士の竹倉明七(たけくらめいな)です。

若松英輔さんの詩集。

12月に新刊が出ていたので買ってしまいました。

「ことばのきせき」

自分を思いやることができる人が

他者を思いやることができるのだとわかる一冊。

わたしは、世の中に溢れている

人を操りたいというエネルギーが乗っかったキャッチコピーに

時々目を閉じたくなります。

若松さんの言葉は、操作や誘導が全くないと思える。

そうでなければ癒されるはずがないからです。

言葉は愛にも凶器にも変わるなぁ。

そんな流れで、今日は言葉についての話題です。

例えば、

今、悩んでいることがあるとします。

それを日本人が表現すると、

「私は悩んでいる。」

という表現になります。

日本人にとってスタンダードな表し方です。

これをインドの人が表現すると、

「悩みが私の中にやってきて留まっている。」

となるのだそうです。

日本人は主語が「私」という主格になるのに対し

インド人は「悩み」が主語になる。

これを与格といいます。

日本語の表現、私は悩んでいる。というと

私と悩みは一体化しているイメージで、

悩みに囚われてる人のような感じがします。

一方、ヒンドゥー語の表現、

悩みが私の中にやってきて留まっている。

これだと雰囲気が変わります。

「私」と「悩み」は別のもので、悩みは今、私の中に居るけれど

いずれ去っていくもの、ということを表現しています。

私という透明な入れ物には、その時々で

悩み、感謝、愛、怒り、喜び、悲しみなどがやってくる。

そしていずれ去っていったり、

別の新しいものがやってきたり、

2つ、3つの感情が同居していたりする。

わたしは与格にそんなイメージを持っています。

clouds

Kiranでお話を聞いていると

悩みがある時って、人は悩みに支配されてしまいます。

決して「私=悩み」ではないのに。

だから気休めにしかならないとしても

お話する時に与格の表現を使ってみたりします。

私という透明な入れ物の中に様々な感情が入っている。

決して、私の中に悩みだけがいるわけではないし

悩みが私の全てを覆いつくすことはない。

解決しないモヤモヤはいずれ去っていく。

そんな風に思えるように。

「悩み」を題材にしましたが

今度は与格で「愛」を表現してみると

これも雰囲気が変わって素敵なんです。

日本語で言うと

「私はあなたを愛している。」

という表現。

これをヒンドゥー語で言うと

「私にあなたへの愛がやってきて留まっている。」

となります。

私という入れ物の中に、あなたへの愛が宿っている、

という感じででしょうか。

同じ想いでも言語の表現方法によって雰囲気が変わります。

どちらが好きかは人によって好みが分かれそうですね。

今日は何年か前にインド哲学から学んだことをシェアしてみました。

言葉の限界が世界の限界。

と言われます。

普段、日本語で生きているということは

自然と日本語の表現の枠の中で日々生活しているということで、

思考も枠の内側までで収まるように生きている。

それが自分の世界の限界になる、という意味です。

他の言語の表現方法を知ること

目に見えるものも、目に見えないものも

違う側面から見ようとするきっかけになる。

そこにはちょっとした気付きがあったり

自分の世界が広がる喜びがあったり。

言葉の世界は偉大だ、という雑談でした。

person holding world globe facing mountain

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

ではまた次回です♡

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