こんにちは。
四柱推命鑑定士の竹倉明七(たけくらめいな)です。
鑑定の合間時間に下北沢の北澤八幡神社へお参りしたところ・・・
八幡様の神使は鳩。
神様のお使いかな~♪
書くことはいつも思い付きと気分、というブログを
読んでくれてありがとうございます。
今日も占いとは関係ない話題になっちゃいます。
テーマは愛について。
本来、愛とはシンプル。
そして主体的なものです。
誰かを愛するのに条件はいらないし
自己犠牲も
承認欲求もいらないし
引き換えにするものなどないはず。
だけれども現実的には
愛する。よりも
愛されたい。という思考が先に立ったりします。
愛されたいから愛する、というように。
なぜかというと
それが人が生まれながらに学習してきたことだから。
人は生まれた瞬間から自らの力で歩けません。
誰かの手を借りて
栄養を与えてもらい、
安全な環境を与えてもらえなければ
生き延びられない無力な存在です。
生命を維持するという、ごく基本的な欲求のためには
お世話をしてくれる人が欠かせなくて
お世話をしてもらうためには、
命を脅かされないようにするためには、
愛されいていた方が都合がいい。
それが現実。
だから
赤ちゃんは周囲が手を貸したくなるように仕向けるため
頭が大きく、目が大きく
可愛らしい容姿で生まれるという説も
以前どこかで聞いたことがあります。
誰もが多かれ少なかれ
愛されなければ生きていけないということを
生まれた時から知っているわけですね。
そうやって本能で
愛されたい。
という思考がありながら成長していくわけだから
大人になり、お世話を必要としなくなっても体感は消えない。
それは、愛されなければ生きていけない、という
学習による呪縛でもあります。
愛するより愛されたい、となるのは
人の中にそんな呪縛があるからではないかという説。
シンプルかと思えば複雑で、めんどくさい人間らしさって
こういうことに起因しているのかなと、わたしは納得してしまう。
そしてその呪縛が解けた時に
人は見返りを気にすることなく
誰かを愛することができるのかもしれません。
そして、
呪縛を解くとは
自らを解き放つことでもあり、
それが自立ということなのかもしれません。
藤井風さんの新曲「満ちてゆく」の歌詞に
愛される為に
愛するのは悲劇
という言葉がありました。
手を放すことで満ちてゆくのだ。
というフレーズを繰り返すその曲を
自分なりに解釈してみたら
今日はこんなお話となりました。
4月のスタート。
転勤、異動、引っ越し、新学期のみなさまも
それをサポートするみなさまも
そして、何も変わらずのみなさまも
おつかれさまです。
そして、寅卯中殺さんはあともうすこし。
自らを解き放つ時まで数日のカウントダウンです(*^^*)
もうね、お一人お一人のお顔が浮かびますー。
2年と2カ月、長かったですね。
本当におつかれさまでした。
Kiranは今月も元気に営業しております。
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